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JOURNAL
鈴木康広(アーティスト)×若木信吾(写真家)
Yasuhiro Suzuki × Shingo Wakagi
8年前、あるいは8年後、 浜松に生まれたふたりが語る、あれこれ。
この対談は「B&P Journal vol.0」に掲載されている対談の「余談」です。
鈴木康広:アーティスト。1979年浜松市河輪町出身。
東京造形大学デザイン科卒。現在は東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。フィリップモリス・アートアワード大賞や浜松市教育文化奨励賞など受賞歴多数。2011年10月22日から11月23日まで、浜松市美術館にて「鈴木康広展BORDER-地球、まばたき、りんご、僕」が開催中。11月に作品集『まばたきとはばたき』(青幻舎)の刊行。

| 鈴木 | 若木さん、高校時代(*1)は写真部だったんですよね。 実は……その8年後、ぼくも同じ高校の写真部に入ったんですよ。 |
| 若木 | えっ、そうなの? |
| 鈴木 | そうなんです。 当時は若木さんが先輩だなんて、全然知らなかったんですけどね。 だから、若木さんがおっしゃった、その部室のこと、知っていますよ。 学校の玄関をはいってすぐの階段下にある暗室ですよね。 |
| 若木 | そうそう! あの場所、影になってるから、だれにも気づかれずにいられるんだよね。 そっか、鈴木くんも写真、やってたんだ。 |
| 鈴木 | いや、“やってた”って言えるほど熱心ではなかったです。すみません。 当時、90年代の後半はいわゆる写真ブームで、HIROMIXさんたちの存在もあって、 写真=おしゃれ、っていう感じだったのといろいろな文化部を見渡して、 とりあえず写真部に入っておこうかな、と、それくらいのレベルでした。 |
| 若木 | おれのころは写真=ヌードって感じだったな。 みんな、篠山紀信さんや立木義浩さんの写真をすぐに連想するみたいで、 中学のころ、同級生に「写真やってるんだ」って言ったら、 それだけで「エロいね」って言われたことがあるよ。 |
| 鈴木 | 写真=エロ、だったんですね(笑) |
| 若木 | そういう時代だったの。でも、8年で状況って変わるものだね。 |
| 鈴木 | そんななか、っていうのも失礼ですけど、 若木さんは中学のころから、もうプロの写真家をずっとめざしていたんですよね。 それが本当にすごいな、と思います。そもそも、写真家という職業があることを知っているのが驚きですよ。 ぼくの場合は、写真やアートを仕事にできるということを意識したのが本当に遅かったから。 |
| 若木 | まあ、それも時代のせいなのかもね。 そのころ、80年代はいろんなおもしろい雑誌が出始めた時期で、海外のカルチャーも雑誌経由で知ることができた。 単純にそれに影響されたんだよ。時代といえば、ファッションの点でも全然違うよね。 鈴木くんが言ってた「アーサー・グループ」(*2)のこととか、おれらは知らなかったなあ。 今はBOOKS AND PRINTSが入っている場所にあったお店にも当時行ったことあったんでしょう? |
| 鈴木 | ええ、ありますよ。ロキシーですよね。なつかしいです。 ひょっとしたら、当時は違う場所にあったかもしれないですけど……。ロキシーというお店によく行きました。 学校帰りに友達と浜松駅周辺の洋服屋さんをのぞくのが楽しかったんですよ。 年齢的にも、そういうのが、一番、楽しい時期じゃないですか。 店員の人とあれこれ話したり、たまに変わるディスプレイを眺めたり。 アーサーの本店に、買えもしないのにドキドキしながら入っていったりね。 |
| 若木 | いやあ、おれは、全然、そういうのなかったなあ(笑)。 でもさ、そういえば鈴木くん、前に、自分は運動部だったって言ってなかったっけ? |
| *1) | 二人は同じ高校の出身。 なお、BPJ本紙ではお二人の出身高校を「静岡県立南高校」と表記しておりますが、 正しくは「静岡県立浜松南高校」でした。訂正してお詫び申し上げます。 |
| *2) | アーサー・グループは浜松で多くのファッションショップを運営している。 BOOKS AND PRINTSのすぐ近くにあるお店「Men's Castle Arthur」には、 浜松市美術館での展覧会期中、鈴木さんによるパラパラマンガ作品も設置されている。 |
| 若木 | 鈴木くん、前に、自分は運動部だったって言ってなかった? |
| 鈴木 | はい。子どものころからずっと陸上部でした。 陸上以外も、季節によって、なんでもやる感じでしたね。 高校に入ってからも1年生まではバスケ部に所属していたんです。 でも、まわりの友だちに“高校にはいったら帰宅部でしょ”みたいな空気があって、 だんだん、みんな文化部に散っていくんですよ。 その流れにのって、ぼくも写真部に入ってみた、というわけです。 |
| 若木 | そっか、じゃあ、かなり長い間、運動部に入っていたんだね。 今は、あんまり、スポーツとかしなさそうに見えるけど……。 |
| 鈴木 | いや、よく、そうやって言われるんですけど、それが、ぼくには意外なんです。 体を動かすことは大好きですね。 子どものころなんて、ずっと外で遊んでいたから、日焼けして真っ黒になっていましたよ。 小学生時代には、肌が黒すぎて「夜歩いていると、服だけが動いているように見える」と言われたくらいです。 おもしろい発想ですよね。服だけが動いてる様子、自分でも見てみたいなと思っていました。 子どものころはサッカーも……小学2年までは……(しばし、沈黙)。 あの、若木さんはサッカーはやっていましたか? |
| 若木 | いや、おれは全然。 子どものころのスポーツは少林寺拳法の道場に通っていたくらいだね。 なんで、小学2年でやめたの? |
| 鈴木 | それはですね……いや、この話が普通にできるようになるなんて……生きててよかった、と思います。 子どものころは、いや、10代になってからも、 あまりにショックが大きすぎて、平常な形では人に話せないような出来事があったんです。 ぼくは当時、サッカー少年団に入っていたんですけれど、 ある日、試合中に、とんでもない失敗をしてしまいました。 ぼくはバックというポジションで、たぶん、なにか考え事をしていたんでしょうね、 目の前にころがってきたボールを、本来だったらトラップするか、 蹴ってクリアしなくちゃいけないのに、 なぜか、がっちり、両手をつかってキャッチしちゃったんです。 |
| 若木 | キーパーじゃないのに。 |
| 鈴木 | そう。キーパーじゃないのに。 なぜ、あんなことをしてしまったのか、いまだに自分でもわかりません。 とにかく、サッカーという「手を使ってはいけない」というルールに基づいた ひとつの世界のど真ん中に、まったく違う価値体系の世界を突然出現させてしまったんです。 |
| 若木 | 周りは騒然としたんじゃない? |
| 鈴木 | 騒然となってくれたほうがまだよかったかもしれません。 みんな、いったい何が起こったんだ、という感じで、シーンとなっちゃった。 ぼく自身も呆然としてしまって、立ちすくむしかありませんでした。 結局ペナルティキックで点を取られて負けました。 帰り道でも、あまりに事態が不可解すぎて、 みんな、ぼくにかける言葉がないというか、からかったりもせず、 ただ、だまっていましたね。 この件の責任をとって、サッカーをやめたんです。 |
| 若木 | 責任感、昔から強かったんだね。 |
| 鈴木 | いや、今、こうやって話していると、 そんなにたいしたことではないように聞こえるかもしれませんが、当時は本当にショックでした。 なんていうか、ぼくはひとつの世界、サッカーというルールの下でみんなが動いている社会、 それを無意識的にではあれ、破壊してしまったわけですよ。 このままこの世界にとどまってはいけないな、と強く感じたんです。 そしてこのときに、人間は、意識が及ばない「瞬間」に、 自分の意志を超えた行動をしてしまうことがあるんだ、 ということを学びました……。 |
| 若木 | 小学2年生ですごいことを学んでしまったね。 |
鈴木 | もちろん、こうして言葉で表せるようになったのはずっと後なんですけれどね。 ほんと、いいものですよね、大人になるって。 自分の思っていることを言葉で人に伝えられるなんて。 |
| 若木 | 子どものころは家で絵を描いたり、 なんていうかな、アートにつながるようなことはあんまりしてなかったの? |
| ※ | お詫びと訂正 B&P journalvol.0「浜松だいたいマップ」にて、 16番「むつぎく」さんの地図上のお店の位置に誤りがありました(住所および電話番号は相違ありません)。 掲載されているのはかつての場所で、現在は浜松駅南口から徒歩3分の場所にございます。 申し訳ございません。お出かけの際は「むつぎく」さんのHPなどで必ず場所をご確認の上、 お出かけくださいますようお願い申し上げます。 |
| 若木 | 子どものころは家で絵を描いたり、なんていうかな、 アートにつながるようなことはあんまりしてなかったの? |
| 鈴木 | 家で遊ぶのも大好きでしたね。外でも家でもよく遊んでいたんです。 特に熱中したのが工作。うち、実家がスーパーマーケットだったんですよ。 おかげで段ボールなど工作の材料はなんでもそろっていました。ぜいたくな環境でしたね。 それから食べ物にも困りませんでした。 |
| 若木 | へえ、そうだったんだ。そのころ、食べ過ぎて太ったりしなかったの? |
| 鈴木 | 太らなかったですね。太る体質だったら、大変だったかもしれない。 |
| 若木 | でも、身長は大きくなったよね。食べ物、関係してるんじゃない? |
| 鈴木 | ぼく、中学2年までは背が高くなかったんですよ。それから一気に20数センチのびました。 身長って、まず手足が大きくならないと伸びない、って言うじゃないですか? |
| 若木 | いや、初めて聞いたなあ。 |
| 鈴木 | あれ?そうですか。いや、ぼくも、ほんとかな、と半信半疑ではあったんですけど、 当時は毎日、背が大きくなるように、手と足の指をひっぱって、伸ばす運動をしていました。 結果的に、ほんとに背が伸びたんだけど……こうなると本当のところが知りたいですね。 手を伸ばす運動のおかげで背が伸びたのか。別になにもしなくても伸びたのか。 そこはわかんないところですね。 伸びろ、伸びろ、って念じること自体にも効果があったのか。わからないです。 |
| 若木 | 体の一部を伸ばせば、全体が伸びるかも、っていうその発想がおもしろいよね。 そして、それを実際にやってしまうところもさ。 なんだか鈴木くんの今の活動につながる気がする。 |
| 鈴木 | 今につながると言えば、先ほど、若木さん、 あんまりまばたきをしないっておっしゃっていましたよね (*この対談の直前に鈴木さんの新作「まばたき証明写真」を若木が体験。 まばたきの際に目を閉じたその瞬間、写真機のシャッターがおりる仕組みなのだが、 若木はレンズを凝視し、なかなかシャッターがおりなかった)。 それはやっぱり、写真家としてファインダーをずっと見続けるために鍛えたんですか? |
| 若木 | いや、別に鍛えてはいないよ。 もともと、ドライアイの反対というかさ、目が乾きにくい体質らしい。 |
| 鈴木 | そうなんだ。すごいですね。そういう点でも写真家はぴったりのお仕事だったんですね。 |
| 若木 | 鈴木くんが子どものころに作っていた工作って、 たとえば、どんなものを作っていたの? |
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| 若木 | 鈴木くんが子どものころに作っていた工作って、たとえば、どんなものを作っていたの? |
| 鈴木 | 基本的に遊び道具ですね。 作ったあとに、遊べるもの、試せるものじゃないとおもしろくなかったんです。 たとえばボール。投げると、よくカーブするとか、よく落ちる、とか、 そういう特殊なボールを作っていました。 それを自分で投げてみて、こういう回転をかけるとこう曲がるんだな、と納得していました。 一番はまったのはゴルフクラブづくりです。 木をけずって、クラブを作る。球はプラスチック製のものだったんですけど、 ヘッドの角度を調整すると、ちゃんと上にあがって楽しかったですよ。 |
若木 | スイングの技術もけっこういりそうだね。 今もゴルフはやってるの? |
| 鈴木 | いや、やっていないです。 中学生のころ、友だちのお父さんにうちっぱなしに連れて行ってもらったことがあるんですが、 本物のゴルフクラブは重たいし長いし、体がついていかなくて、うまくできなかった。 そこで挫折してしまっていたんですよ。 でも、この間、久しぶりに義理の兄がうちっぱなしに連れていってくれたんですね。 もう20年くらいやってないのに、練習なしで案外うまく飛ばせることができてびっくりしました。 |
若木 | 子どものころのスイングが体にしみついているのかな。 |
| 鈴木 | そうかもしれませんね。 道具を作りながら、どうやったらうまく飛ばせるか、研究していましたからね。 知らないうちにあれがスイングの練習になっていたのかもしれないな。 若木さん、ゴルフは? |
若木 | おれも小学校高学年のころ、おやじに連れられて、うちっぱなしに行っていたよ。 でも、自分でゴルフクラブを作ろうとは全然思い至らなかった。 おれはおじいちゃんに頼んで、トンファーを作ってもらったくらいだなあ。 あ、トンファーって、中国武術の武器。ジャッキー・チェンブームだったからね。 |
| 鈴木 | ぼくは戦う系の道具にはあんまりいかなかったですねえ。 |
若木 | でも、鈴木くんの場合、なんていうか、戦う相手がとてつもなく巨大だよね。 人間じゃなくて、引力とかだものね。けん玉はいつごろからやってたの? |
| 若木 | けん玉はいつごろからやっていたの? |
| 鈴木 | けん玉は中学校のときに始めました。 担任の石塚先生が学校に一個持ってきて「みんなやっていいよ」って言うんです。 「けん玉はおもちゃじゃないから学校でもやっていい」って。 家にあったら、やったかわからないんですけど、 学校にあると、希少価値がでるというか、むしょうにやってみたくなるんですよね。 しかも、一個しかない。けん玉って一個しかないとみんな集まってくるんです。 で、ひとりずつ順番にやっていく。人がやっているのを見る時間ができるから、 あ、こうやるとダメなんだな、と勉強になるし、 一方、自分がやるとき見られているから技が決まると楽しいわけです。 10分の休みだと、ひとりができるのは数分しかないから必死ですよ。 でもね、そのうち、みんな飽きちゃって、どんどん人数が減っていった。 ぼくは最後まで飽きなかったですね。 |
| 若木 | なんでだろうね。 |
| 鈴木 | 当時のぼくは、かつては一番だった運動もそこそこに落ち込み、勉強もほどほどの成績。 でも、けん玉はそのどこにも属さないものだし、上達が目に見えたからだと思います。 そんなある日、先生が、「灯台という一番難しい技がある。 それを3秒間できたら、先生のけん玉をあげるよ」って言うんです。 たぶん、だれも自分からほしいと言ってなかったんですけどね(笑)。 ぼくは、お昼休みに職員室の先生のところに行って、「先生、やります」って言いいました。 そして先生が給食を食べてる横でやったら……できちゃったんです。 すると先生は、けん玉にマジックで書いてあった自分の名前を、 たまたまそばにあった万年筆でカリカリっとバツで消したんです。 「先生、木なんかに書いたら、万年筆が壊れちゃうよ」とぼくは気が気じゃなかったんですけど、 さらにカリカリっと「康広」ってぼくの名前を書きこんでくれたんです。 これがその(今まさに手にもったけん玉を示しつつ)想い出のけん玉です。 |
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| 若木 | えっ。これが、その、実物なの? じゃあ、中学のときからずっと大事にしてたんだ。 |
| 鈴木 | そうですね。 当時は、まさか後にけん玉をモチーフにした作品を作ったりするとは思いもしませんでしたが。 |
| 若木 | そのころはアートの道に行こうとは思っていなかったの? |
| 鈴木 | はい、まったく。 |
| 若木 | そうなんだ。いつごろからアートに興味をもったの? |
| 若木 | いつごろから、アートに興味をもったの? |
| 鈴木 | それがすごく遅いんですよ。 高校時代に、ぼく、国語が苦手だからという理由で理系を選択していたんですけど、 高3の夏に数学が国語よりもっと苦手だった、ということに気づいたんです。 |
| 若木 | けっこう、ぎりぎりのタイミングで気づいたんだね(笑)。 |
鈴木 | そう、いつも気づくのが遅いんですよ。 とにかく理系で数学ができないんじゃ話になりませんよね。 わあ、これはまずいぞ、と。 そして、浪人もしたくないと思ったんです。 いったい、どうしたものか、と思っていたある日、 友だちの友だちが美大を受けるっていう話を聞いて、 えっ、世の中にはそういう道もあるの? とびっくりしたんです。 |
| 若木 | じゃあ、そのころまで美大に行こうとは思ってなかったんだ。 |
鈴木 | 全然思っていなかったですよ。 数学も物理もわからないから、可能性があるとすれば生物系の学科かなと思ってました。 美大という存在がまったく身近ではなかったですからね。 小学6年生のとき、担任の先生がときどき授業中に 多摩美術大学の話をしていましたが、それはなんでかというと、 ユーミンが多摩美出身でうんぬん、という、ユーミンにからめてだった。 ぼくの人生では、本当にそれくらいしか美大と接点がなかったんです。 |
| 若木 | たしかに遠い感じがあるよね。 |
鈴木 | だから、友だちの友だちが美大を受けると聞いたときはびっくりしました。 それで、その人に会いにいって、 そういうところを受けるというのはどういうことなの? って聞いたんです。 そしたら「たとえばこういう大学があって、受けるためには、 デッサンとかそういうのが必要なんだよ」と親切に教えてくれたんです。 うわあ、大変そうだなと思ったんですけど、 でも、数学に比べたら、だいぶ“近いな”と思って。 それで、デッサンの塾みたいなところに行かなくちゃなあ、 と思い始めるんですが、さあ、どこに行ったものか、と。 浜松市内にいくつかあるんですけど、 そもそも美大に行くかどうかもまだ迷っていたし、 決めかねていたんですね。 そんなとき、市民会館みたいなところで、高校の夏期講習があったんですよ。 |
| 若木 | へえ、そんなのがあったんだ。おれのころはなかったような気がするなあ。 |
鈴木 | その講習からの帰り道、 「ああ、だめだ、やっぱり、もう、勉強、間に合わない、こまった」と思いながら、 自転車をこぎだして、坂をまっすぐおりていったら、 そこに緑屋美術研究所があったんですよ。 あ、これが、うわさの緑屋かと。 こんなところにあるんだ、と思って自転車をいったん停止したのですが、 友人も一緒だったのでそのまま帰り道を行きました。 僕の頭の中では緑屋をのぞいてみるかどうか、 さまざまな思いが錯綜していたのですが、 アクトタワーの横まできたところでたまたま信号が赤になったんです。 とまった瞬間、「やっぱり行ってくる」と友人に告げて緑屋に戻ったんです。 そしたら、当時、一階が画材屋さんだったんですが、 そこにいたおばさんが、たぶん、生徒さんだと思ったんでしょうね。 「もう先生、来てるよ」って言われて。 「さあ、はいって、はいって」っていう感じになっちゃって。 |
| 若木 | そのまま中にはいっちゃったの? |
鈴木 | ぼく、流されやすいんですよ……。 それではいっていったら、そこに先生がいて。 「どうした?」って言うから、「ぼく、美大を受けようと思っていて」 って恐る恐る話をしました。「何年生?」って聞かれて、 「3年生です」って答えたら、「じゃあ、浪人だね」と。 「できれば、浪人したくないんですけど」と言いつつ、 でも、あんまり、強くも言えないから、はい、なんて言ったら、 先生も基本は生徒を増やしたいじゃないですか(笑)、 いきなり入学の用紙を渡してきて、 それでそのままはいることになっちゃったんです。 |
| 若木 | そういう感じだったんだねえ。 |
鈴木 | 結果的にはとても良かったです。 緑屋のアトリエはとてもすてきで、いい雰囲気だったし (*作家、柴崎友香さんの作品『ビリジアン』(毎日新聞社刊)に 若木撮影による緑屋のアトリエ写真が掲載されています)。 街中ならではの信号機のぱっぽーはっぽーって音が入ってきたり、 西日が強烈な感じとか、今でも緑屋に行くと当時のことを鮮明に思い出します。 当時のぼくは、かなり追い込まれていたので、 受験的な意味で「絶対無理」って言うようなところじゃなくて、 受験のためではあるけれど、 ひとりひとりがたんたんと自分のデッサンに取り組んでいる緑屋の雰囲気はぴったりでしたね。 でも、人生でかつてないくらい、全力で学びました。 毎日、学校が終わってから、夜9時ちょっとすぎまでずっと緑屋にいて、 その後まっくらな町を自転車でかけぬけて家に帰りました。 ぼくにとっての、まさに青春の日々でしたね。 |
| 若木 | それで現役で受かったの? |
鈴木 | そうなんですよ。 ほんと、がんばりました(笑)。 現役といえば、若木さんは高校卒業後すぐにニューヨーク州に留学されたんですよね? 本当にすごいです。発想すらできなかったなあ。 |
| 若木 | いや、単に当時、周りではやってたんだよ、留学が。 その大学に行ったのも知り合いに「あそこがいいらしい」ってなんとなく聞いたからだしね。 おれもけっこう流されやすいのかもしれないね。 |
| 若木 | 鈴木くんは緑屋に出会えてほんとによかったね。 のんきな感じって言ってたけど、 たしかに藤沢先生(鈴木さんが高校時代に通った緑屋美術研究の先生)、 厳しく怒ったりしなさそうだものね。 |
鈴木 | それが一回だけ、ものすごく怒られたことがあるんですよ。 いまでもよく覚えています。 ただ、なんで怒られたのか、実はいまでもよくわかってないんですけど(笑)。 とにかく、まず、先生が求めていたのは「その人のデッサン」なんですね。 うまく描くことじゃなく、その人らしいデッサン、 その人ならではのデッサンかどうかを大切にしておられた。 そして「自分で考えること」をすごく求められるんです。 しかも先生、長嶋監督ばりに抽象的な言い方をされるから、 自分で考えなくちゃいけない(笑)。 そんな先生に、一回だけ、すごい怒られました。 画用紙をばんばんたたきながら、「こんなデッサンを描いてちゃダメだに」って言うんですよ。 |
若木 | だに、って言ったんだ。 |
鈴木 | そうなんです。声を張り上げて、ダメだに、って。 どんどんどんって机をたたきながら。そのときが最初で最後です。 ふだん、あんまり怒らない方なので、すごくびっくりしました。 「こんなにかっちり固まったデッサンじゃダメだ」と。 そのときは、どこがダメかわかりませんでした。 後に考えてみると、ぼくのデッサンって不安定だったんですね。 不安定というのは、たとえば静物を描くときに、 コップなどの対象物をきっちり平な面に置かず、 僕はあえてななめにして支えあわせたりして、 今にも倒れたり、落ちそうなふうに置いていたんです。 |
若木 | その感覚、写真でもあるよ。 「そこにコップがある」という事実じゃなくて、 「そのコップが倒れるか倒れないか」っていうその状況を伝えたいわけだよね。 それ、すごいことだよね。 |
鈴木 | もしかしたら、もっといわゆる予備校なデッサン教室に行っていたら、 そんなこともせず、どう描けば正解か、ということを習っていたかもしれません。 僕はデッサンとは何か、といった知識もないから、 ただ自分がおもしろいなと思うことをしていただけなんです。 むしろそういうふうに、あ〜、倒れちゃいそう、みたいな状態で置いたほうが、 ものがそこに“ある”ということを表現しやすかったということもありました。 平らなところに置いたリンゴを、あたかもそこに“ある”ように描くって、 ものすごく難しいことですからね。セザンヌの世界というか。 |
若木 | なるほど。 |
鈴木 | それにぼくは不安定感みたいなものに魅力を感じていたんです。 今も、見たときに動きを感じるものが好きなので、当時と変わらないですね。 そんなわけで先生は、ぼくがそのとき描いていたデッサンは、 ぼくらしくない、不安定じゃない、ってことで、全力で叱ってくれたんです。 あのことがなかったら、自分が無意識的に興味を持っているものがある、 ということをはっきりと意識できなかったと思います。 でも……今思い返してみても、 先生に怒られたデッサンがかっちりしているとは思えなかったんですけどねえ(笑)。 実はそのときも、けん玉を描いていて、小さなクリップでけん玉をはさんで、 はさみきれないクリップがぱちんと飛んでしまいそうなその状況を描いていたんです(笑)。 |
若木 | 十分、不安定な状況だよね(笑)。 |
鈴木 | きっとデッサン自体がうまくいってなかったんでしょうね。 クリップがけん玉にくっついて見えたんでしょう。 とにかく緑屋では、デッサンの基礎より、もっと大事な基礎を教えてもらったように思います。 自分で考える時間をもらえたことがぼくにとって、すごくよかったですね。 高校3年のその時期って、みんな勉強まっしぐらな時期じゃないですか。 そういうときに、藤沢先生みたいな人に出あえたっていうのは救いでした。 ぼくの場合は、子ども時代があまりに楽しくて、 中学と高校が、おもしろさの点ではだんだん落ち込んでいくなかで、 現代の社会の中心からは外れた、 僕にとっての新しい居場所が見つかったのは本当に大きかったです。 |
| 若木 | 鈴木くんは、大学から東京で暮らし始めるわけだよね。 地元、浜松とのリズムの差みたいなものは感じますか? |
鈴木 | うーん、東京での暮しも長くなったし、どうでしょうね。 ぼくは、いまいちわからないかもしれない。 若木さんは、どうですか? |
若木 | 映画(*『星影のワルツ』)を撮影したときに、1カ月くらい浜松にいたんです。 9月にいって10月の終わりくらいまで。 あの季節がねえ、良すぎて、ダメなんですよ。 |
鈴木 | 良すぎてダメ? |
若木 | まったくやる気がでない。 一番好きな時期なんだけど、もう、ずっとぬるま湯につかったまま、という感じ。 いやあ、そんな中で撮影しなくちゃいけなくて、困った。 |
鈴木 | 映画を撮るときって、 そういうの関係なしにテンションが高くなるんじゃないんですか? |
若木 | おれも、そう思っていたの。 でも、撮影中のある日、夜、家で寝たら翌朝起きられなかった。 撮影しないで、昼まで寝ちゃったんだよね。 |
鈴木 | 小さいときからそのリズムが残っているんですかねえ。 でも、地元にきて、早く撮らなきゃいけないときに、 昼まで寝られて、それで周りも大丈夫っていうのは、いいですよね。 たぶん、同じ季節でも東京ではそうはできなかったんじゃないですか? |
若木 | たしかにね、寝過ごすってことはないと思う。 |
鈴木 | 若木さんは、場所を記録する、というか、 家族や浜松をとらえることをご自身の仕事というか、 活動として昔からやっていますよね。 今も若木さんの体が正確に浜松の空気に反応しているんじゃないですか。 だからこそ撮れるものがあるんですね。 でも、ぼくにとっては、浜松=ホームというか、家族や友人がいて安心できて、 向こう=東京でがんばらなくちゃと、 自分のやるべきことをもう一度確認するための場所でした。 藤沢先生に帰るたびに近況報告をして、悩みを聞いてもらったりしてね。 そういう帰る場所があるっていうのはありがたいことです。 東京ではいろんな人や物や場所に遭遇し、 日々僕の視点がどんどん変わっていくわけです。 ふたつの場所があったおかげで今の自分があるなと思います。 若木さんに出会えたのも、原宿のvacantのイベントがきっかけでしたものね。 |
若木 | そうそう、あのときに来てた方から、 BOOKS AND PRINTSでバイトしてくれる人を見つけてもらってね。 いろいろ出会いがあった。 |
鈴木 | たぶん、あの出会いも浜松だったらまた違ったと思うんです。 でも、とにかく、ご縁がいろいろとつながって、 BOOKS AND PRINTSのペンキもぬらせていただいて。 (*B&Pの最初のペンキぬりをしてくれたのは鈴木さんです) |
若木 | すんません。 あのときは、途中でペンキがたりなくなっちゃって。 それでも、たりないなりに、見事にぬってくれて、すごいな、と思った。 (*BOOKS AND PRINTには今も、 鈴木さんが少ないペンキでぬってくれた壁が保存されていますので、 お立ち寄りの際は、ぜひご鑑賞ください) |
鈴木 | たりなくてもできることはありますからね。 要はあきらめないことですよ。 |
若木 | 大事なことだよね…… 本当にありがとうございました。 そして今日は、展覧会前の忙しいなか、時間をくれて、本当にありがとう! |
お・ま・け |
若木 | 浜松にあそびに来た人に、どこかおすすめの場所はある? |
鈴木 | どちらかというと浜松市外から来た方へ、 というより在住の方へのおすすめなんですが、 現在、浜松市民がおそらくもっとも行かない場所のひとつ、 アクトタワーの展望台が案外おもしろいですよ。 ぼくが高校2年生のときにできて、 そのころ一回上ったことがあるんですが、それ以来行ってなくて。 ところが最近、久しぶりに行ってみたら意外とよかったんです。 15年前の風景と今とちがってきてるから、その差が楽しかったですね。 |